インタビュー働く人インタビュー
大学卒業後の就職
当時は、希望の職種で内定をもらうのが困難でした
大学進学で東京に行って、就職も東京でしようと思っていました。情報を発信する仕事をしたいという気持ちがあったので新聞社や出版社を中心に就職活動を行いましたが、なかなか内定がもらえず、家電量販店を運営する会社に入社しました。接客業は好きだったのですが、体調を崩してしまったことをきっかけに潔く辞めて、もともと希望していたマスコミ業界での経験を積みたいと考え、出版系の会社にアルバイトで入社しました。
当時は、周りも含めて希望の職種で内定をもらうことが難しく、確かに就職氷河期だということを実感しましたが、若かったのでそんなに不安にはなりませんでした。安定したいというよりは、スキルを身に着けたい、自分で実力をつけるんだ、という思いの方が強かったと思います。
入社するまで
アルバイトとして入社した東京の会社は、それから契約社員、正社員とステップアップすることができ、6年間働きましたが、出産のタイミングで秋田に戻ることになりました。
秋田に戻り、出産後子育てをしながら編集や事務の仕事を経験しました。転職をするためにハローワークで求人情報を探しているときに、ノリット・ジャポンの求人を見つけました。その時はノリットのことは全く知りませんでしたが、ホームページを見て、こんなにクオリティの高いものを作っている会社が秋田にあるんだ、と驚いたし、うれしかったことを覚えています。
一度は諦めた分野で再チャレンジしよう
ノリットの求人を見つけるまでは、秋田で編集の仕事に再び就くつもりはありませんでした。でも、この会社でなら、東京での経験も生かして、フラストレーションなく仕事ができるんじゃないかと思いました。他に事務系の仕事での採用連絡をいただいていましたが、一度は諦めた分野で再チャレンジしようと思い、ノリットに入社することに決めました。
就職氷河期世代の人材
開発に携わった商品
就職氷河期と言われる私たち世代は、スタートは大変だったかもしれませんが、それぞれの場所でキャリアを積めば、スキルも広がっていきますし、求められる人になることはできるんじゃないかなという気はします。
その場所で求められる人材になるためにはどうすればいいか、ということを考えざるを得なかった。
世代によるものではないと思うのですが、会社にどのように貢献して収益に結び付けるか、どうやって自分の居場所や役割を作っていくか。氷河期世代はそれを考えないと生き残っていけなかったのかもしれません。
仕事のやりがい
恋する秋田新聞
自分の視野が広くなったと 思っています
それまでは編集者としての経験しかありませんでした。当社は色々な事業を展開しているので、商品を作ったり売ったり、企画を立案・提案して、遂行していくという複合的なことができるようになったのは、ノリットに入ったおかげだと思っています。当社での経験を通じて自分の視野が広くなったと思っていますし、色々な事業者さんとお仕事をする中で、デザインや言葉に力があるということを、知っていただけるようなお仕事ができていると思います。
私の子どもも、ノリットが関わった商品などは見てすぐに分かるみたいです。小学5年生の次男が「お母さんがやっている仕事みたいなこと、僕もできるかな」と言ってくれて、私の仕事を面白がってくれているんだなと、うれしく思いました。
企業へのインタビューは、
こちらをご覧ください。
「ノリット・ジャポン株式会社」
非正規雇用から正社員になって活躍している
氷河期世代へインタビュー
ノリット・ジャポン株式会社 町田 香織さん
町田香織さんは、1977年生まれ、秋田県秋田市出身です。大学卒業後に東京で就職し、出産・育児を機に、秋田へ移り住みました。
入社時は6か月の期限付き採用でしたが、その後フリーランスを経て正社員となり、今は執行役員兼企画クリエイティブ事業部部長として、会社の中心的な役割を担っています。